求人情報サイト「バイトル」を運営するディップ株式会社の社内AI活用で、経営・DX目線でもっとも参考になるのは削減時間ではなく、同社がいったん導入した高度なAIエージェントツールをやめ、GASとn8nに戻した判断です。理由は性能不足ではなく「メンテナンスできない」「ブラックボックスになる」でした。社内AI活用の分岐点がどこにあるのかを、2026年8月20日公開のインタビューをもとに整理します。
ディップが語った社内AI活用の成果
ディップ株式会社の執行役員 BizOps本部 本部長・進藤圭氏は、AIsmileyのインタビュー(2026年8月20日公開)で、社内AI活用の成果を次のように述べています。いずれも同社が公表した文書ではなく、インタビューでの発言です。
| 内容 | 進藤氏の発言 |
|---|---|
| 業務時間の削減 | 2025年だけで約5万時間、人数にして20人分くらいの業務時間がなくなった |
| 求人原稿の外注費 | かつて年間4〜5億円規模で外注していたが、現在はゼロ |
| 契約関連の作業 | これまで40分ほどかかっていた作業が3分程度になった |
前提として、ディップは全社横断プロジェクト「dip AI Force」を2023年8月8日に始動しています。同社のニュースリリースによれば、始動時点でアンバサダー250名以上を現場に配置し、ChatGPTのプロンプトを200以上整備、対象従業員は約3,000名でした。営業部門では原稿作成などの事務作業時間を削減し、3年で営業生産性1.8倍(2027年2月期)を目標に掲げています。
つまり、2025年の削減実績は単年の取り組みの結果ではなく、2019年頃から続く推進体制の上に生成AIが乗った結果です。この時間軸を飛ばして数字だけを自社に当てはめると、期待値を誤ります。
高度なAIエージェントツールをやめ、GASとn8nに戻した理由
ディップが工程の自動化で最初に使ったのは高度なAIエージェントツールでしたが、同社はそれをやめています。理由は精度でも費用でもなく、運用を続けられないことでした。
進藤氏はインタビューで、「最初は高度なAIエージェントツールを使って作ったのですが、とてもじゃないけれどメンテナンスできないし、ブラックボックスになってどうしようもない、という話になりました」と述べ、RPA導入時にブラックボックスを量産した経験と同じ轍を踏まないための判断だったと説明しています。その後、コストを抑えられて書ける人も多いGAS(Google Apps Script)から作り始め、外部のWebサービスと接続する部分にn8n(ワークフロー自動化ツール)を追加した、という流れです。
この判断は、ツールの優劣ではなく評価軸そのものの置き換えとして読むべきです。
| 評価軸 | 導入時に見られがちな観点 | ディップが優先した観点 |
|---|---|---|
| 性能 | どこまで自動でできるか | 自動化した処理を後から読めるか |
| 費用 | 初期構築のコスト | 改修し続けたときの総コスト |
| 人材 | 使える人がいるか | 直せる人が社内に何人いるか |
| 資産性 | 動くものが手に入るか | 中身が社内に残るか |
「直せる人が社内に何人いるか」を評価軸に置くと、選択肢は変わります。高機能なツールで短期間に作った自動化は、作った本人以外が触れなくなった時点で運用負債に変わります。社内AI活用で残すべきなのは、動く仕組みではなく、直せる仕組みです。
なお進藤氏は、生成AIのAPIについて「トークンのコストがどんどん上がっていく」とも述べています。この点は補足が要ります。主要ベンダーのモデル単価はむしろ下落傾向にあり、OpenAIは2026年7月30日にGPT-5.6 Lunaを80%値下げしました(GPT-5.6が80%値下げ|AI利用コストを下げる3つの見直し軸)。単価が下がっても、自動化する工程が増えれば総額は増えます。コストを見るときは単価と総額を分けて考える必要があります。
「点のAI」は業務の30%しか代替しない
ディップは2024年頃までの「点のAI」から、工程をつなぐ「線のAI」へ移行しています。進藤氏は、点のAIは「その人の業務の30%を代替する程度なので、成果が大きくなりにくい」と述べています。
ここで重要なのは、つなぐ手段を限定していない点です。進藤氏は「つなげる手段はAIエージェントだけではなく、RPAも使います。自動化とは、そういうものなので」と述べています。AIエージェントが従来のRPAと違うのは、条件分岐(IF)を厳密に書き分けなくても、揺らぎをAI側で吸収できる点だと説明されています。

社内AI活用が「導入したのに効果が見えない」で止まる典型は、この点の状態にとどまっているケースです。国内調査でも、AI活用がうまくいっていない企業の要因の1位は「AIを活用する業務範囲が明確ではなかった」でした(AI導入は26.8%どまり|成否を分けるのは目的と定着)。工程の一部だけを速くしても、前後が人の手作業で残っていれば全体の所要時間は変わりません。
自動化しない業務を先に決める
自動化の対象を広げる前に、最初から自動化しない業務を決めておくと、失敗の範囲を限定できます。進藤氏は自動化しない業務として次の3つを挙げています。
| 自動化しない業務 | 理由 |
|---|---|
| お金に関すること | 誤りの影響が大きく、取り返しがつかない |
| 分岐や処理が複雑すぎるもの | 例外処理が増え、結果として保守できなくなる |
| ルールが決まっていないもの | 判断基準がない業務は、AIにも人にも一貫して実行できない |

裏を返せば、マニュアル化・ルール化ができている業務から順に自動化できるということです。この線引きは、AIエージェントに与える権限の設計とも直結します(自律型AIエージェント導入のセキュリティ|権限設計と人間の承認ゲート)。
アンバサダー制度は「無報酬で回る設計」になっている
ディップの推進体制の特徴は、各課に1人ずつ推進役を置く「アンバサダー制度」です。進藤氏によれば、全社で約200名規模、開始は2019〜2020年頃で、対象技術はRPA、Slack、AIの順に変わってきました。金銭的なインセンティブは設けていません。
制度の運用は次のように説明されています。
- 有志で小さく始める:Slackで呼びかけ、3〜5人の有志で試す。
- いけそうなら制度化する:横展開できる部分だけを会社の仕組みにし、そこから任命制に切り替える。
- オリエンで目的を共有する:なぜ必要か、何をゴールにするかを説明する。
- 毎月15分の会議とSlackでナレッジを集約する:中央で統制し続けない。
- 自走したら頻度を下げ、役割が終われば解散する:制度を残すこと自体を目的にしない。
人選の基準も明確で、テクノロジーが好きなこと、技術を使った効率化が好きなこと、コミュニティや飲み会が好きなアクティブな人であることの3つが挙げられています。アンバサダーは各課のコミュニケーターとして機能するため、技術力よりも伝える力を重視した設計です。
報酬ではなく「最先端を引っ張っている感覚」と表彰で回している点は、予算の限られる中小企業でも取り入れられる考え方です。
中小企業がまねできる部分/できない部分
ディップは対象従業員約3,000名、直販営業だけで約2,000人という規模の会社です。前提が違う部分を切り分けないと、施策をそのまま持ち込んでも機能しません。
| 施策 | 中小企業への適用 |
|---|---|
| 各課に1人の推進役を置く | まねできる。課の数が少なければ2〜3人から始められる |
| 有志で試し、いけそうなら制度化する | まねできる。むしろ小規模なほど意思決定が速い |
| 直せる形(GAS等)で自動化を組む | まねできる。作れる人材の確保しやすさが選定理由なので、規模を問わない |
| 自動化しない業務を先に決める | まねできる。コストゼロで今日から実施できる |
| 200名規模のアンバサダー網 | そのままはまねできない。人数ではなく「各課に1人」の考え方を移植する |
| 求人原稿制作の内製化 | そのままはまねできない。同社は原稿制作が本業に直結する専門領域 |
進藤氏自身、これからAIを始める中小企業への推奨として「とりあえずスマホを配ってください」「まずGoogleのスプレッドシートから始めてください」と述べ、Android端末なら契約条件によっては1人あたり月1,000円程度から用意できると説明しています。毎日使う環境に置くことが出発点、という考え方です。
よくある質問
- ディップはなぜ高機能なAIエージェントツールをやめたのですか。
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執行役員の進藤圭氏はインタビューで、メンテナンスができずブラックボックスになることを理由に挙げています。RPA導入時にブラックボックスを量産した経験を踏まえ、GASとn8nに切り替えたと説明しています。
- 社内AI活用で最初に決めるべきことは何ですか。
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自動化しない業務を先に決めることです。ディップはお金に関すること、分岐や処理が複雑すぎるもの、ルールが決まっていないものを対象外としています。裏返せば、ルール化できている業務から自動化できます。
- AIエージェントとRPAは、どちらを使うべきですか。
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どちらか一方を選ぶ問題ではありません。ディップは工程をつなぐ手段としてAIエージェントとRPAの両方を使っています。条件分岐を厳密に定義できる処理はRPA、揺らぎを吸収したい処理はAIが向きます。
- 推進役を置く制度は、中小企業でも機能しますか。
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機能します。ディップの制度は各課に1人という設計思想が本質で、人数規模は前提ではありません。課の数が少なければ2〜3人から始め、月15分程度の共有会から運用できます。
まとめ
ディップの社内AI活用から読み取るべきなのは、2025年に約5万時間という削減幅ではなく、高機能なツールを「メンテナンスできない」という理由でやめた判断です。社内AI活用で資産になるのは動く仕組みではなく、社内の人間が読んで直せる仕組みです。
次に取るべきアクションは3つです。
- 自動化しない業務を先に3つ書き出す:お金が動く業務、例外分岐が多い業務、ルールが未定の業務を対象外として明示する。
- 既存の自動化に「直せる人」が何人いるか数える:1人以下なら、その仕組みは運用負債になりかけている。
- 各課に推進役を1人置く:報酬ではなく、共有と表彰で回す設計から始める。
Auto-IDフロンティアは、社内で直せる形の自動化設計と、推進役の育成までを支援しています。「作ったが誰も直せない」状態を避けたいという方は、AI導入相談フォームからご相談ください。
出典・参考資料
- ディップ株式会社: 200以上のChat GPTプロンプト整備、現場に250名のアンバサダーを配置 全社横断のプロジェクトチーム『dip AI Force』始動 ()
- AIsmiley: 【インタビュー】求人原稿の外注コストはゼロに。ディップが実践する全社AI活用――アンバサダー制度と『点から線』の自動化 () (本文中の削減時間・外注費・ツール選定の記述は、同記事における執行役員 進藤圭氏の発言に基づく)



